「愛」と「お金」はどちらが大事かという事は、もうかなり前から議論をされる内容となっていますよね。
これって、どちらが・・・という問題ではないと思うのですよね。
男性、女性が二人で生活をしていく際に、二人が安心をして穏やかに暮らしていくという事が出来る「お金」はいくら必要であるのか?という事だと思うのです。
どちらではなくて、どちらも重要って事が言えるのではないでしょうか?
「愛だ大事」という人も「お金が大事」って人も偏るのではなくて、どちらも重要と思う事が出来ると良いのではないかと思うわけです。
「お金を稼ぐ」という事に関して、「愛かお金か?」というテーマは重要なものとなってきますので書いてみようと思います。
好きな人に「何か購入をしてあげる事も出来ない」自分が情けないと思ったとき
好きな人に「何か購入をしてあげる事も出来ない」自分を情けないと思った事はないでしょうか?
愛というか、好きだから、何かプレゼントをしたいと思うときがあるはずです。
でも、自分がそれが出来ないときって、不甲斐なさを感じた事はありませんか?
ボクはありますよ。
超貧乏ってわけでもありませんが・・・
何か「ドラマ」などのイメージが強く、好きな人に対しては、指輪をプレゼントをしたり、ネックレスをプレゼントをしたり・・・したいと思うのは、案外と誰でも経験があるものだと思います。
気持ちがあれば・・・お値段が安くても・・・なんて事はあるかもしれません。しかしながら・・・男性としの自尊心とか社会的に何か認められているという部分が無い自分にすごく落ち込むのですよね。
だから仕事をして少しでも多くお金を貯めてプレゼントをする・・・わけです。
これって、「愛があるからお金を稼いでいる」と思うのですよ。
「愛があるからお金がないんだ!」なんて人が時々いますが・・・そんな事っておかしいと思うのですよ。
愛があるからお金を稼ぐのです
基本的には「愛かお金か」なんて端的な事ではなくて、愛があるからお金を稼いでいるのではないでしょうか?
少しばかり、両極端に愛とお金を議論をし過ぎているのではないかと思うのですよね。
あなたは、どのように思いますか?
愛はある・・・でも、お金は全く稼ぐ事が出来ませんとか、仕事を一生懸命にしませんというのは・・・本当に「愛」がある行動でしょうか。
ボクはどうもそのようには感じられないのですが。
お金はたくさんあるけれども淋しい人がいる
お金はたくさんあるけれども、「淋しさ」をいつも抱えて、孤独を抱えている人も多くいます。
だから、ギャンブルで言えば、ラスベガスなどチヤホヤしてくれる場所にいき、たくさんのチップを支払い、自分がやってきた事をお金が使えるという事で価値を確認をしているという事です。
でも、「お金を稼ぐ」とか「お金をたくさん持った」事によって、この人の淋しさがもたらされたものではありませんよね。
お金を稼ぐという事は、「ラッキーでなった」という人もいるのですが、実際には、そのラッキーを掴むためにも並々ならぬ努力がありますので、お金をすごく楽に運で稼いだ人がいるという考え方はやめて下さいね。
では、この人には愛はなかったのでしょうか?
仕事でお金を貰うためにお客様に好かれるようにとか、人の事を考えて満足を得て貰えるような事を提供をしてきた事によって得たお金なわけですから、それって広義では「愛」ですよね。
結論:「愛」も「お金」は切り離して考える必要性はないのでは?
「愛」と「お金」をあまりに別ものにして切り離して考える人が多いと思うのですが、少し説明の文章量は少ないので、まだ納得をしない方もいらっしゃるかもしれませんが、ボクの考えとしては、「愛が大切だと思っているからお金を稼いでいる」という事があると感じています。
従って、「「愛」か「お金」か?」なんて事を野暮な事を言わずに、「愛」も「お金」もいづれも大切だという事でいきましょう。愛かお金かという議論や言い争い自体に「愛」もなければ「お金も増えない」って皮肉な結果が待っている気がするわけです。
って事で、「愛」か「お金」かについては両極端にするのではなくて、いづれも大切という事でバランスよくいきましょう。
前回のお金はボクのバイアグラは下記